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故人が兄弟(姉妹)・物静かな性格・旅行が趣味だった場合の喪主挨拶の例文です。

喪主が葬儀のスピーチをしている画像
喪主挨拶の例文
故人:兄弟(姉妹) | 性格:物静か | 趣味:旅行

本日はお忙しい中、姉○○の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます。
私は弟の○○でございます。
遺族、親戚を代表しまして、一言ごあいさつ申し上げます。
姉は旅行中の突然の事故で亡くなりました。
ご友人の方々も本当に突然の訃報で、さぞかし驚かれたことと思います。
家族一同も未だに信じられない気持ちです。

姉は子供の頃から物静かで、ずっと本を読んでいるような人でした。
外見から見るとそれこそ名作小説を読んでいるように見えますが、もちろんそれもありましたが古典・推理小説・SFや恋愛小説にいたるまで、雑色系でどんな分野も読んでいました。
なかでもとりわけ好んで読んでいたのが歴史小説・時代小説で、大河ドラマから時代劇までテレビもよく観ていました。
姉の風貌からチャンバラを目を輝かせて観ているのは想像がつかない方もおられるかもしれませんね。

働くようになってから、ご友人の方々がオシャレをされていき、ご結婚のお知らせをいただくたびに「祝儀貧乏だわ」と笑っていました。
「だったら自分も相手を見つけて結婚したらいいのに」と言いますと「私の恋人は干物だから」と答えました。
干物というのは、すでに亡くなっている歴史上の人物のことだそうで、生きている人は「ナマモノ」というそうです。
すっかり俗に言う「歴女」というものになってしまいました姉は、働いたお金は貯金もせずに「巡礼に行く」「イベントに行く」と、たとえば近年一番はまっていた大河ドラマの『真田丸』に関しては、番組の最後に写る「紀行」に紹介された場所をチェックして、連休になると長野をはじめ新潟・大阪・静岡など嬉しそうに走り回っていました。
イベントというのは、そのゆかりの場所でのお祭りやトークショーのことで、テレビ局のトークショーや、そういう関連の講演会があると飛んで行きました。
トークショーなどは抽選がありますので、私も家族も名前を貸して応募していました。

その姉が、その趣味が高じて自作の本などを出すようになりました。
静かにソファーで本ばかり読んでいた姉が、髪の毛振り乱して徹夜などしながら大量の本を作って、私も手伝わされましたが、そういう即売会に出るようになりました。
子供の時に持っていた、クラッシックを聞きながら物静かに本を読んでいる上品に見えていた理想の女性像は音を立てて崩れ去っていったのでした。
そんな人は姉をはじめとして少数なのだろうと思っていましたが、近頃はインターネットのSNSで友達ができたようで、かなりの数だったようです。
今日もわざわざ遠くから来てくださった方々もおられるようで、本当に心から感謝します。

そんな姉ですので両親や親族は「結婚する気はないんだろうか」と本当に心配していて、数年前にそれを申しましたら「チベットに連れて行ってくれるならば考えてもいい」と言い出しました。
たぶんご姉の本でご存知の方もおられるかもしれませんが、ちょうどその頃にチンギスハーンにはまっていたんですよね。
モンゴルにひとりで行くというと、絶対に両親から反対されるとわかっていた姉に、いいダシにされたんだと思います。
クラッシックも好きだった姉は、ベートーヴェンやモーツアルトが大好きだったために子供の時からドイツ語を習っていて、ドイツ語は話せるのですが英語ができませんでした。
ていのいい通訳も連れて行ったということでしょうか。
チベットの大草原に沈む壮大な夕日をながめながら「あんたが弟じゃなかったら、あんたと結婚したんだけどね」と笑いながら言いました。
「私にも選ぶ権利はある。弟だからこそ言いなりになっているだよ」と答えると「それもそうだ」と大爆笑していました。
それが本気だったのか冗談だったのかは今となってはわかりませんが、その時にふたりで見た日没は本当に美しかったです。

その時の旅行をまとめた本は、弟のひいき目と言われるかもしれませんが素晴らしいもので、とても皆様から評判がよくて増刷されるほどでした。
今となっては姉があきれるくらい調子づいて増刷しすぎたのは、もしかしたら、なにかしらの予感があって皆様に読んでいただきたかったのではないかとも思いますので、知らない方々にもぜひ読んでいただきたいと思い、今回配らせていただきました。
ご笑読いただけたらと思います。

姉は常々「歴史を知る醍醐味は、その場所に行き、そこの空気を吸い、そこの名物を食べること」と言っていました。
生前に行きたいところリストなるものを見せてもらったことがあるのですが、まだまだ行きたいところが多かったと思います。
今回の旅行は「死ぬまでに一度は行きたい」と耳にたこができるほど聞かされていた、姉の最愛の干物である、土方歳三最期の地である函館でした。
「もしかしたら帰りたくなかったのかもしれないね」と母が昨夜つぶやいていましたが、そうだとしたら大本望だったのかもしれません。

子供の頃、家に引きこもって青白い顔をして本を読んでいた姉は、今では遺影のように日に焼けてよく笑う活発な人となりました。これはひとえに、皆様のおかげだと思います
簡単ではありましたが、皆様への感謝の気持ちも込めて、簡単ではありましたがご挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。

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