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故人が兄弟(姉妹)・頑固な性格・料理が趣味だった場合の喪主挨拶の例文です。

喪主が葬儀のスピーチをしている画像
喪主挨拶の例文
故人:兄弟(姉妹) | 性格:頑固 | 趣味:料理

例文①

本日はお忙しい中、妹○○の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます。
私は兄の○○でございます。
遺族、親戚を代表しまして、一言ごあいさつ申し上げます。

〇〇は、先日食道癌で亡くなりました。
シェフが食道癌など、本人にしては本望なのか、悔しいのか、何にも言わなかったので私にはわかりませんが、最期まで痛みも訴えず、亡くなる午前中まで自力でトイレに行くがんこな妹らしい最期でした。

そんな状態でしたので、まだ大丈夫だと思っていた家族は、午後から急変した時は上に下にの大騒ぎとなりました。
店の仕込みをしていた息子は予約客に断りの電話をかけまくり、お産をしたばかりの娘は夫と共に新生児を連れて病院に駆け込んできました。
なんとか全員が集まるまで待っていたかのようにして、静かに亡くなるところが妹らしいと思います。本当に苦しまなかったのがなによりでした。

妹は元々はデザイン関係の仕事につきたかったようでしたが、レストランをしていた父が倒れて急逝したために、店を継いだ私を助けるために、別に頼みもしないのに自らの意志でデザインの専門学校をやめて、調理師学校に行きました。
理由は「お兄ちゃんはデザートは逸品だけど、料理の才能がないから」だそうです。
確かに私は父が倒れるまでパティシエとして〇〇店で働いていました。

元々うちは小さなレストランで、がんこな父のやり方に反抗して「跡など継がない」と飛び出した不肖の息子でした。
父も「自分一代で店は終わってもいい」などと言っていましたので、妹もデザイナーを志していたのでした。
ところが、いざ亡くなってしまい常連の方々のお話を聞いていると、店をたたむのが忍びなくなり後を継ぐことにした私に、妹は「お兄ちゃんがそのつもりならば、しょうがないか」と言った次の日には専門学校をやめてしまったのです。
店は父の片腕だった〇〇さんががんばってくださいましたが、持病の腰痛が酷くなり妹が卒業したのと入れかえのように退職されてしました。

卒業したとはいえ、ひよっこの妹は突然に店を任されることとなり愕然としていました。
頼みの綱は父と〇〇さんが残してくださったレシピノートだけです。
見かねた私が「ケーキ専門の店にしようか」と持ちかけましたが、父譲りのがんこ…というか、父を一回り大きくした頑固な妹でしたので「ダメだ」と言い張りました。
しかしお客様に生半可な料理を出すわけにもいかないので、1ヶ月は子供の頃から親しんで作ることができる、父がよく作ってくれたメニュー数品をランチと、アフタヌーンティーで営業することにしました。
その間、妹は夜遅くまで悪戦苦闘をしていました。
とうとう見かねた私は気晴しにと、父がいつも取引していた農家に一緒に行くことにしました。
有機野菜を手間暇かけて、丁寧に作られている野菜を見学して、もぎたてのトマトを食べた時に妹が泣き出しました。
かなり追いつめられていたのだと思います。

次の日から妹は別人のように生き生きと料理の試作品を作り、〇〇さんに味見をしてもらい何度もダメだしされながら、とうとう合格をもらえるようになったのでした。
妹の口癖は「あんなに大事に育てられた野菜を美味しく料理しなきゃバチがあたる」でした。
私は「なるほどなあ」としか言えませんでした。
それが頑固一徹のシェフ2代目の誕生でした。

学生時代から店を手伝っていた私の息子が妹の弟子となりました。
その教育は見ている私もハラハラするほど厳しく、やっと一人前になったとたんに、妹は「修行に行ってくる」とフランスに行ってしまいました。
3年後に帰ってきて腕に磨きをかけてきた妹の息子へのスパルタ教育がまた始まりました。
息子も泣き言も言わずに必死でがんばってくれました。
まるでそっちのほうが本当の親子のようだと思うことがあり、ちょっと嫉妬したこともありました。

ご存知のとおり、妹は生涯独身でした。
「好きな人はいないのか?」と聞いたことがありました。
すると「私は料理と結婚したのよ」などと、まるでドラマのヒロインみたいなことを言っていましたが、本当に料理を愛して生涯をかけていたのです。

その妹が突然血を吐いて倒れたのは3年前のことでした。
病名を告げると「伝染する病気でなくて良かった」と、もしものことがあったらと息子に厨房全部の消毒を命じていたそうです。
2度の手術や癌の治療はつらかったと思います。
しかし「店を引き継いだ時に比べたらこんなもの」と笑っていました。
がんこな妹も、さすがに妻にだけは弱音を吐いていたそうです。
そんな弱音が吐ける人がいてよかったと心から思います。
ありがとう。

常連の方々も見舞いに来てくださり、お菓子や果物を持ってこられた時は「食道癌なんだから食べれないよ」と苦笑していましたが、とても喜んでいました。
本当に妹を愛してくださってありがとうございました。

簡単ではありましたが、皆様への感謝の気持ちも込めて、ご挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。

例文②

本日はお忙しい中、兄○○の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます。
私は妹の○○でございます。
遺族、親戚を代表しまして、一言ごあいさつ申し上げます。

兄は〇月〇日にスイゾウ癌で亡くなりました。
スイゾウというのは沈黙の臓器と言われ、自覚症状がないそうです。
兄も腰痛や背中の痛みや食欲不振は仕事の疲れだとばかり思っていたそうで、夜中に突然に倒れて救急車で運ばれて検査をしたところスイゾウ癌だと宣告されました。
もうその時には手の施しようもなく、診断後たった3ヶ月というあっけない最期でありました。
家族一同ほぼパニック状態の毎日で、ご友人の方々にもご連絡しようと思いましたが、本人が「誰にも知らせるな」と言い張りましたので、本当に申し訳ありませんでした。
本当に死ぬまで頑固な兄でした。

兄は大学を出てから外資系のIT企業に勤めましたが、本社から来られていたアメリカ人の上司と折り合いが悪く、大喧嘩の末にやめてしまいました。
すぐに国内メーカーに就職できたのですが、今度は自由な社風だった外資系と違っての純日本的な社風に合わず鬱病になってしまいやめてしまいました。
そんな兄を家族はみんな腫れ物に触るような感じで接していました。

ちょうどその頃に、叔母が息子の〇〇を連れて遊びに来ました。
子供のことですのでそんな事情も知らずに、布団を被って寝ている兄に遊ぼうとせがんで怒られていました。
しかしそんなことも気にとめない〇〇は「お兄ちゃんお腹がすいて元気がないんでしょう。僕が元気の出るものを作ってあげる」と言い、学校の家庭科で習ったばかりというロコモコ丼をみんなの分も作ってくれました。
最初は「食欲がない」と言っていた兄ですが「せっかくお兄ちゃんのために作ったんだから食べて」としつこく言われて一口食べました。
子供のことですから不格好なハンバーグに黄身が潰れた目玉焼きでしたが、最後まで泣きながら食べていました。

数日後に兄が突然「自分は料理人になる!」と言い出しました。
「〇〇が作ってくれた料理で元気をもらったことから目から鱗が落ちた。
自分も元気のない人が元気の出るものを作りたい」と、料理の力は素晴らしいと力説を始めたのです。
子供の時から機械いじりが好きで、パソコンを自作したり、自分でゲームを作ったりしていた超理系の兄が、まったく違う分野に行くというのですから、両親も私も驚愕しました。
皆さんご存知のように、とにかく言い出したらきかない頑固者ですから「好きにしたらいい」と両親は言いましたが、内心は「どうせ畑違いの職業だから無理だろう」と思っていたようです。

兄は行きつけだった店に頼み込み、ちょうど人手不足だったのも幸いしてすぐに採用されました。
全くのど素人でしたので、散々怒られていたようですが、毎日生まれ変わったように生き生きと通っていました。
数年後には店長からも認められて調理師免許を取って独り立ちしました。
それが「元気の出る食堂」です。
私は「ダサイ名前だから考え直したら?」と言ったのですが「料理人になった初心の名前だから変える気はない」と押し通しました。
最初はお客もまばらでしたが、さすが理系男でリサーチを始めて誰でも手軽に来られるようにと考えて、ワンコインランチを始めました。
そのメニューは〇〇が作ってくれたロコモコ丼です。
それも他のメニューはないそれだけというこだわりが評判になりました。
ランチが波に乗ってくると、夜のお客様も増えていきました。

経歴が面白いと一度雑誌から取材されたことがありました。
その時に鬱病を治してくれた甥のロコモコ丼の話はとてもよかったようです。
雑誌を見て「元気をもらいに来ました」といって来られるお客様もたくさん来られました。
兄はそういう人たちの話も丁寧に聞いてあげてました。
聞くだけでアドバイスなどは一切しないでいるので「どうして?」と聞くと「聞いてあげるだけでいいんだよ。アドバイスは料理を出すことだ」などと笑っていました。
私にはよくわからない話でしたが、みんな元気になっているみたいなので、そういうものかと思っていました。

考えてみると変な店で、人生相談を聞きながら料理を出すだけでなく、休みの日とかは会社でパソコンを使うようになって困っている人を集めて教室をしたり、仕事が終わってから修理などもしてあげたりしてました。
そんなことをしているので1人では手が回らなくなってきていた頃に、同じようなソフト会社で疲れ果てて来た人がいます。
兄の仕事中にSOSを言ってきた人のパソコン修理をかわりにしてくれたのがきっかけで、パソコン教室を手伝ってくれて、そのうちに店の手伝いまでしてくれるようになりました。
それが私の夫となりました〇〇です。
結婚すると夫は会社をやめて正式に店に入ることとなりました。
兄は本当に喜んでくれました。
皆様からも祝福されて本当に嬉しかったです。
今後は兄の店を志を継いでまいりたいと思います。
皆様今後ともよろしくお願いします。

簡単ではありましたが、皆様への感謝の気持ちも込めて、簡単ではありましたがご挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。

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