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故人が祖父・明るい性格・釣りが趣味だった場合の喪主挨拶の例文です。

喪主が葬儀のスピーチをしている画像
喪主挨拶の例文
故人:祖父 | 性格:明るい | 趣味:釣り

例文①

本日はお忙しいなか、祖父○○○の葬儀告別式へお越しくださり、誠にありがとうございます。

私は故人○○○○の孫の○○○○と申します。
祖父は、○月○日に入院先の病院で息を引き取りました。
享年○歳でございました。
皆様もご存じの事かとは思いますが、祖父は大の釣り好きでした。
入院中も早く釣りに行きたい!そればかり言っていました。
祭壇をご覧頂きましたら分かるかとは思いますが、祖父は釣具を集める事も大好きで、退院したら、新しい釣具を買って良いか?と言い、それを自分のごほうびにするかのように、入院中の治療にも励んでいましたが、それが叶わずとても悲しく思います。

明るい人柄もあり、釣りを通じて親しくしていただいた方も本日お越し下さった皆様の中にもいらっしゃる事かと思います。
入院中も多くの方にお見舞いへ来て頂きましたこと、この場をお借りして、祖父になり代わりまして心から御礼申し上げます。
祖父はああ見えて、とても寂しがり屋なところもあったので、とても励まされた事と思います。
入院中もいつも明るかった祖父が亡くなった事実を未だに受け入れることは出来ませんが、少しずつ時間をかけて、現実と向き合っていきたく思います。
今後とも、祖父の生前同様のご厚誼、ご指導を賜りたく存じます。
本日は誠にありがとうございました。

例文②

本日は皆様お忙しいところ、祖父○○の葬儀にご会葬くださり誠にありがとうございました。
私は孫の〇〇と申します。
親族を代表してご挨拶させていただきます。
おかげさまで、無事葬儀を執り行うことができました。
たくさんの方々に見送られた祖父は本当に皆様から愛されていたのだなと思います。
生前に賜りましたご厚誼に祖父に代わりまして、心より感謝申し上げます。

思えば戦後の大変な時代を家族を守って、家では愚痴のひとつも言わず一生懸命に働いていたと聞いております。
家族を愛してくれて、友達も多く誰か彼かが遊びに来ていました。
本当に祖父を中心にいつも笑いの絶えない家でした。
ご存知の通り祖父は釣りが趣味です。
私の祖父の一番古い記憶でも「大漁だぞ~」と玄関の戸を元気よく開けて帰ってきた姿です。
真っ黒に日焼けした顔に、やたら白い歯が対照的な笑顔がトレードマークの皆様お馴染みの祖父の顔を、遺影にさせていただきました。
休みになると朝早くから釣り竿をしょって出かけていき、時々は仲間と一緒に遠くの島まで泊りで出かけていました。
いつもたくさんの魚を釣って帰ってきましたので、私はずっと釣りの名人なのだと思っていました。

しかし中学の時です。
たまたま友人の家からの帰り道の商店街で祖父を見かけまして、声をかけることもなく後をついて行くとなんと魚屋さんに入って魚を買っているではありませんか。
私はビックリして家に飛んで帰り祖母にそのことを話しました。
すると祖母は笑いながら「知ってるよ」と言いました。
私はわけがわからず「それってずるくない?」と尋ねますと「それはあなたのためですよ」と言われました。
ビックリしている私に「あなたが小さい時に、からっぽのクーラーボックスをみてガッカリしていたんで、〇〇を悲しませては爺さんの沽券にかかわる!と釣れなかった時は、お小遣いから買ってくるようになったのよ」と笑ってました。
その夜は魚屋で買ってきた魚を、大げさにとても苦労して釣り上げたんだと自慢しながら美味しそうにお酒を飲む姿に、最初は「嘘つき」と少し腹が立っていたのですが、あまりにも面白おかしく話をする祖父を見ているうちに、だんだんおかしくなって大笑いしたことがありました。本当に面白い祖父でした。

子供の時に「一緒に連れて行って」と言ったことがあったのですが「水辺は小さい子には危ないからダメだ」と強く言われました。
今ではわかるのですが、海に落ちたり川で流される事故があります。
実は祖父の子供の時に友達が川に落ちて亡くなったことがあったそうで、私を思いやってのことでした。
そして「大きくなったら連れて行ってやる」と約束してくれました。
その日をずっと楽しみにしていたのですが、私が釣りに一緒に行けるようになった歳には祖父が年齢のせいか足腰が悪くなって、結局は本格的な釣りには一緒に行くことができなくなりました。
私の心残りといえばそれだけです、
海釣りや川釣りができなくなった祖父とは「それまで我慢しろよ」と子供の時から連れて行ってもらっていた釣り堀りばかりに出かけるようになりました。
釣り堀でも祖父は人なつこさを発揮して初対面の初心者の人たちにエサのつけかたなど親切に教えてあげたり、釣った魚はそこでさばいてもらうこともなく、包丁を借りて自分のだけではなく他の人のもさばいてあげていて、おなじみの釣り堀りの人に「あんたのおじいさんが来てくれると楽でいいよ」と笑って言われました。
どこに行っても人気者になっていた祖父は、最初は恥ずかしかったですが、友達も一緒に行くようになって、みんなから「名人」「名人」とほめられているのを見ているうちに「やはり名人だったんだ」と自慢の祖父と思うようになりました。

病で入院しがちになってから「元気になったらどこへ行きたい?」とたずねたことがあります。
祖父は「また〇〇島へ泊りがけで釣りに行きたいなあ。その時には約束通り一緒に行こうな」と目を輝かせて言っておりました。
無理だということは自分でもわかっていたと思いますが、家の床の間に飾ってある大きな魚拓にとった魚を釣ったのが〇〇島だったから一番の思い出だったと思います。
そこへ約束を忘れずにいてくれたことが、とても嬉しく思いました。
いよいよ意識がなくなってきた時に、祖父は無意識に釣り竿をあやつる仕草をしていました。
本当に祖父は根っからの釣り人だったと思います。
もしかしたら亡くなったというのは夢で、本当は〇〇島に本当は釣りに出かけて行っていて、明日の夕方には昔のように「ただいま、大漁だぞ。今度は一緒に行こうな」と元気よく帰ってくるのではないかと思ったりします。
この旅立ちの船に乗って行く祖父のかたわらに、竹製の釣り竿と釣糸を持って行ってもらうことにしました。
きっとあの世でも釣り針のない釣糸をたれて私達が来るのを待っていてくれることと思います。
今後も変わらぬご厚情を賜りますようお願い申し上げます。
簡単ではございますが、ご挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。

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