故人:祖母 | 性格:温厚 | 趣味:スポーツ
本日は皆様ご多用中の所ご会葬頂きましてありがとうございました。
私は孫の〇〇と申します。
出棺に先立ちまして〇〇家を代表して一言ご挨拶を申し上げます。
生前中は皆様にご厚誼を頂戴しまして、まことにありがとうございます。
祖母は7月17日に闘病の末、永眠いたしました。
昨年の初めにガンと宣告されて、余命3ヶ月と言われていたのですが、今日までがんばって病気と戦ってくれました。
家族は最初は病名を告げるかどうかと話し合ったのですが、高齢のためにショックを受けるだろうからやめようかという話に決まりかかっていました。
しかし本人が「ちゃんと病名を教えて」と真剣に申すものですから、とうとう父が折れて告げることにしました。
家族はみんな落ち込んだり泣いたりするだろうとハラハラしていたのですが、本人は目をしばらく閉じた後「よし、敵がわかったからには戦うしかないよね」と、普段は温厚な祖母からは想像できないような力強い言葉が出ました。
さすがに泣き叫ぶことはしないと思ってはいましたが、意外な言葉に「大丈夫?」と母が泣きながら聞くと「敵がわからないまま、なんの治療されているかわからないほうが怖いわよ」と笑いました。
それもそうだとは思いましたが、私は不安でたまらず毎日病院通いをすることにしました。
抗がん剤の副作用に苦しんでいる祖母を見ているのは辛かったですが、祖母から「あんたが応援してくれるから、がんばれる」と言われて涙が出ました。
思えば私が子供の時から祖母はスポーツ観戦が大好きで、テレビで野球やサッカーはじめ、あの年齢の女性には珍しくボクシングなども好きで一緒に観て応援していました。
特に地元球団の〇〇〇〇〇が大好きで、よく一緒に観戦に行きました。
皆様は祖母は温厚な人だと思っておられるかと思いますが、球場に行くと人間が変わりました。
球団の帽子にハッピを着て、メガホンを打ち鳴らして応援する姿は、応援団の人たちからも「お婆ちゃん、かっこいい!」と讃められるくらいでしたが「私が生きているうちにもう1回優勝してもらわないと!」と言いかえして大爆笑になったことがあります。
私は、たぶん誰も知らないだろうそんな祖母を、独り占めできていることがとても嬉しかったです。
去年のシーズンが終わった時に、祖母は寂しそうに「私には時間がないというのに優勝できなかったなんて、なんて薄情なチームだろう」と怒っていました。
「でも、ワールドカップまでがんばるからね」と言う姿は余命宣告をとっくに過ぎた人とは思えませんでした。
そして本人が言っていたとおりワールドカップが始まりました。
その時にはもう酸素をつけていましたが、医師の許可をもらって消灯が過ぎても観戦することができました。
本当に感謝しています。
「グルーブってどこの国があるの?」と聞かれて「コロンビア・セネガル・ポーランド」と答えると「なによ強豪揃いじゃないの、1勝でもできたら嬉しいねえ」なんて言っていたのですが、祖母の最後の力を振り絞っての応援のおかげかどうかはわかりませんが、日本はビックリするほどの快進撃をして決勝トーナメントに進むことができました。
「こんな夢みたいなことがあるんだねえ、これって私へのご褒美かねえ」と大喜びしていました。
そのあと意識が混濁して両親からは怒られましたが、祖母が「観せてもらえなかったら、あんたら化けて出るわよ」と言うので、両親もしかたないとためいきをつきました。
決勝トーナメントの相手は優勝候補だったベルギーで、いつどうなるかわからないということから、両親や親族も一緒に観戦することになりました。端から見るとかなり変な光景だったかと思います。看護師さんが心配して何度も様子を見に来てくれました。
さすがにコテンパンにやられるだろうと祖母は言っていたのですが、まさかの先制点と追加点に大喜びして「ブラジルと戦うのを観たいねえ」と言っていたのですが、さすがにかないませんでした。
試合が終わり「いい試合だったねえ。もう思い残すことはないよ」と言ったとたんに意識がなくなりました。
すぐに医師がやってきてくれましたが、それから意識は戻りませんでした。
最期に「よくがんばったね。いい試合が最後に観れてよかったね」と言ったら微笑んでくれたように思います。
でも「〇〇〇〇〇が優勝してくれたら、もっと良かったんだけどね」という声が聞こえたようにも思いました。
こればかりは、今年がんばってもらわないといけないと思います。
いつも一緒にスポーツ観戦をしていた私が挨拶したほうが祖母が喜ぶだろうという、喪主の父からの代打として、簡単ではありましたが、ご挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。
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