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故人が息子・物静かな性格・旅行が趣味だった場合の喪主挨拶の例文です。

喪主が葬儀のスピーチをしている画像
喪主挨拶の例文
故人:息子 | 性格:物静か | 趣味:旅行

本日はお忙しい中、息子○○の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます。
遺族、親戚を代表しまして、一言ごあいさつ申し上げます。

子供の時からあまり物を言わない物静かな子でしたので、人付き合いがちゃんとできているのかと心配していましたが、こんなにたくさんの方のご参列や弔電をいただきましたことを、正直驚いています。そして安心しました。
お聞きしましたところかなり遠方から来てくださった方もおられるそうで、本当に感謝しています。
ありがとうございます。

〇〇が小さな時は夏休みになるとあちらこちらと家族旅行をしていましたが、だんだん私も仕事が忙しくなり、そういうことができなくなりました。
〇〇が中学生の時のことです。
突然「自転車でちょっと旅行してくる」と言い出しまして、子供のことだから近辺ですぐ帰ってくるものだと思っていました。
すると何日たっても帰って来ないので、もしかしたら事故とか事件に巻き込まれたのかと家族で大騒ぎになり警察に届けようかと思っていた時に、とんでもないところからハガキが送られてきました。
ハガキに「元気にしているから大丈夫」と一言だけ書いてありました。
あとから聞くと、旅行中にお世話になった家の奥さんが「ハガキでも出さなきゃ心配しているよ」と言ってくださったおかげでした。
しかし当時はまだ携帯電話など持たせていませんでしたので連絡することもできず、いつ帰ってくるのか、今どこまでいったのかと本当に心配したものです。

2週間もしたころに、たまたまテレビのワイドショーを観ていると、なんと〇〇が出ていました。
よく驚いてお茶を吹くとかいいますが、あんなものはテレビとかの演出だと思っていたのですが、その時まさしく私はそれをやりました。
テレビに映っている息子は「日本一周するつもりです」と言っていました。
愕然としたのは言うまでもありません。
レポーターの人が「お金は?」と聞くと「ためていたお年玉があります」と答えていました。
他の子供たちはお年玉をあげてもすぐに使っていたので、〇〇もそうだと思っていたので驚きました。
「おうちの人はなんて言っていた?」と聞かれると「いっておいでと言われました」と答えています。
ちょっと行ってくると言うからそう言ったわけで、まさか日本一周なんて聞いていたら、さすがにとめていましたよ。
なんだかテレビ局は面白いと思ったのか、〇〇に密着して放送を続けることにしたようです。
おかげでどこにいるのか安否確認できたのはありがたいことでした。

色々な人に助けられ、つらい山道も越えている〇〇を観るのが日課となり、ご近所や職場の人には「思い切ったことを許可しましたね」と言われ複雑な毎日でした。
夏休みもあと数日というころに、ようやく〇〇は帰ってきました。
なんだかたくましくなった感じでとても嬉しかったのですが、夜に家族だけになった時にこんこんと説教したのは言うまでもありません。
〇〇は嬉しそうにそれを聞いてました。
もちろん夏休みの宿題など全くできていないので、学校に妻とふたりで謝りに行きました。
先生達もテレビを観ていたらしく「宿題以上の社会勉強をしてきたんだからしょうがないな」と苦笑されたそうです。

〇〇の旅行好きはこれで味をしめたらしく、高校生になると学校が終わるとバイトにせいを出して、またふらっと出かけるということが続いていきました。
さすがにその時には携帯電話を持たせました。
大学生になると今度は海外まで行くようになりました。
旅費は自分で稼いだお金なので、私達は文句のいいようがなく、無事に帰ることだけを祈るしかなかったのです。

大学を出て就職した時は、これでやっと落ち着いてくれるかと思っていました。
しかし3年後に「お話があります」とえらく深刻な顔をして、私と妻の前で「仕事辞めます」と言い出しました。
そして「せっかく大学を出してもらったのに、ごめんなさい」と3年間ためた給料を大学の学費を返すと渡してきました。
妻は泣き出しましたが、私はもう呆れてしまって「もう好きにしろ、その金は自分のしたいことに使え」と受け取りませんでした。

あとは皆様ご存知のとおり糸の切れた凧のように世界中を飛び回り出しました。
お金がなくなると帰ってきてバイトして、たまったらまた飛び出すという日々が続きました。
〇〇は旅行に行った先々で撮った写真を〇〇は雑誌などに投稿していたようで、それも何度か掲載されることもあり、セミプロのようになっていきました。
一度はアフリカの聞いたこともない国の砂漠で行方不明になったことがあり、大使館から連絡が来た時は真っ青になりました。
本人はケロッとして帰ってきましたが、私達はその時に覚悟を決めました。
しかし、人生というのはおかしなもので、まさか〇〇が病気をして日本の病院で亡くなり、私達が最期を看取ることができたというのは奇跡だったと思います。

どうか、こんな変な奴がいたんだと、時々思い出してくださったら幸いです。
簡単ではありましたが、ご挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。

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